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発刊が楽しみな国際ジャーナル

指導か、教育か、暴力か。
昨年夏、某相撲部屋の力士が、先輩力士と親方により暴力を受けて死亡する事故があった。加害者である先輩力士は、あくまで稽古だたと言い張っていた時期もあり世間や報道側からも大きな批判があったように記憶している。

確かにビール瓶で頭を殴るといったような行為が本当にあったとすれば、暴力以外の何者でもない。いくら体力や学力やが違うそれぞれの人間であっても、人に傷が付くと理解できる範囲はたいてい同じである。同じでない人が、叱られたり、時には罪人となるのだ。


しかし毎日報道されるニュースを見ていると、残念ながら教育と指導と暴力とセクハラが混同し始めているのではないだろうかと思わざるを得ないのが現状だ。とはいえ、そもそも、そのものたちの境目などないのかもしれないが・・・。


社会は、誰もが共通したマナーやルールや一般常識の中で生きてきた。そのおかげで、一人一人、してはいけないことを積み重ね、自分を“叱り”他人を“叱る”ことで、皆立派に成長しあってきた。

ところが、“叱る”側にも“叱られる”側も非難や批判を受ける事態が相次いでいることで、たとえ親子でも、虐待や暴力とされてしまうようになってしまった。

子は叱られないことを愛情だと勘違いして生きる。そして大人になって誰かに叱られると、たちまち虐待だの暴力だのセクハラだのと世間から放り出されるまでの事態へと発展する。

怖いのは、たとえそこに、思いやる気持ちがあったとしても、同様の事態になることだ。叱る行為には、必ず「相手のために」という言葉がくっついていると思っている。だからこそ、“効き目”があり、やってはいけないことの意味を考えるようになるのだと思っている。

しかし、親子の間に“げんこつ”すらなくなる時代を見ていると、そういった“効き目”は、お互いの受身態勢がないと成り立たないのだと諦めに似た気持ちになる。国際ジャーナルニュース
以前、国際ジャーナル(国際通信社発行)のジャーナルニュースというコーナーにも出ていたが、今、凶悪事件が多発しているおかげで、町には監視カメラが多数設置されてるという。小学生を強姦したり、お年寄りを無差別に殺害したり、飲酒運転をして幸せな家族の人生を奪ったり、毎日毎日信じられないような恐ろしい事件がニュースから流れる。そうした一つ一つの犯人を特定する際にも役に立つ監視カメラだが、もちろん、犯罪をするなよ!という警告としても約にたっている。記事でも、防犯カメラが果たす大きな役割と重要性と監視社会が社会に与える影響を教えてくれた。


しかし、私はやはり、これは気持ちのいい社会ではないと思う。

例えば知らない地域で、なんでもない町で、防犯カメラが回っていたとしたら、誰が何のために取り付けたのかもわからないカメラに何故だか緊張してしまうし、その映像が、イタズラに使用される可能性だってある。

また例えば、監視社会が当たり前になっていけば、公衆のトイレや試着室といった他者が関与できない限られた密室だけがカメラがない死角になってしまい、そこでさらなる凶悪な事件が起こるのではないかという考え方だってできる。

現代社会では、鮮明に移し出す機能的かつ画期的なカメラが生産され、その技術は目を見張るものがあるし、携帯に搭載されたり、簡単にプロのような写真が取れるデジタルカメラ、子供の成長を記録するビデオカメラとして、私達の身近な娯楽としても大活躍である。

それらのカメラのレンズが映し出すものが、
やがて幸せなものばかりで済むように
凶悪事件のない安全な社会になって欲しいと思う。現代の報道通信
インターネットで見られる情報サイトのいいところは、目的地(知りたい情報)へ超高速・最短距離でたどり着くことができることだろうか。

家で珈琲や紅茶を片手に知りたい情報がある場所へ飛んでいけるwebは、情報やデザインが以前よりずっとカッコヨクなってきていることを感じる。それでも、私は本を開けることをやめたくないと思っている。

なぜなら、知ろうともしてなかったけど有益な“知らなかった情報”や山のように落ちているし、知ってよかったと思える“探していなかった情報”が載っているからだ。

欲しいときにボタン一つで取り出せる情報は大変便利だが、そんなことをしなくても、自分にとっていい情報や手に入れてよかった情報は、ボタンがなくても頭の中からいつでも取り出すことができる。


病院の待合室で手に取った国際ジャーナルを手に取る。何気なく開いたページには、小さな社会で生きるための工夫や、地域への貢献が意味するものといったことが書かれている。普段はふと頭になんて上ってこないテーマが自分に入ってくる。テーマが一つであろうと、書かれている文節の一つ一つが引き出しとなることがある。広がりがある。

「楽しかった」や、「美味しかった」「悲しかった」で終わらない日記記事にはないものだ。


blogやmixiでさらにインターネット人口が鬼のように増えてしばらく、紙に載った活字を見る機会がぐんと減ってしまった人も多いハズだ。もったいないと思う。本を読んで書けば、もっともっと日記が見る価値や読む価値を上げていくと思うからだ。

国際ジャーナル
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